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ファミコン互換機を巡る大いなる謎、「互換機はどれくらいの数が作られたのか?」に迫る。連載第3回は台湾互換機界の悪名高き偽任天堂こと「NTDEC」に焦点を当てます。
前回は台湾におけるファミコン互換機メーカー大手として7社を挙げ、そのなかで製造台数に関する史料が若干残されている大雅電子(DAR YAR)について推計を行いました。今回は大雅に勝るとも劣らないくらいのマーケットシェアを有していた悪名高き任天堂電子(Nintendo Electronics, 通称NTDEC)について、同様の推計を行います。

社名に堂々と「任天堂」の文字が入っていますが、もちろん任天堂とは全く関係のない企業です。というより任天堂の名を騙った悪質な海賊版メーカーだったと言って差し支えないでしょう。同社の経営に関しては不明な部分が多く、1986年に紀敏聰(Jimmy Chi)によって設立された従業員10人程度の小規模なメーカーであったこと以外、詳細は不明です。
NTDECのブランドはどちらかというと互換機本体よりもカートリッジのほうが有名で、初期の海賊版カートリッジを代表するメーカーのひとつでした。いっぽう、早い段階でオリジナルソフトの開発にも力を入れていました。ソフト部門の系列会社として富利康科技有限公司(MEGA SOFT)を擁していたことも知られています。
勝手に任天堂を名乗っていることに本家任天堂が黙っているはずもなく、同社は1992年頃に台湾において任天堂から著作権侵害で提訴されています。しかし当時台湾が国際著作権の枠組に入っていなかったことから、これは本家側に不利な判決に終わりました。
とはいえ同時期にはアメリカにおいて同社への反撃に成功しており、1991年にNTDEC(およびROM提供元の半導体メーカーであるUMC)は海賊版ファミコン業者として同国初の摘発を受けました。この一件は単なる著作権侵害事件に留まらず、米国政府が台湾政府に対して、海賊版ゲームの輸出に歯止めをかけるよう圧力をかける事態にまで発展しています。
米国連邦議会から台湾総統(当時)李登輝に送付された公式書簡。ニンテンドー・オブ・アメリカに対する著作権侵害について、UMCに台湾政府が出資していることから政府の責任において対処するよう求めている。企業間の戦いを超えて国際問題に発展した様子が如実に示された貴重な資料。總統府『外人控告我國商人仿冒商標』(國史舘)より引用した。
これに続き、1993~1995年にはNTDECに対し、任天堂に2400万ドルの損害賠償を支払うよう米国にて判決が下りました。これら一連の出来事は、少なくとも任天堂が製品を販売している国々においては、海賊版カートリッジ撲滅のターニングポイントになったといえるでしょう。
米国訴訟におけるNTDECの敗訴を伝える中華電視(CTS)のテレビニュース。1993年5月25日放送。NTDEC本社に取材を行っている。
任天堂電子は1992年に年商約3億台湾ドルに到達していました(『聯合報』1993年5月26日ほか)。前出・大雅電子は1990年の時点で年商4億台湾ドル程度だったと見られるので、それよりは小規模だったことが分かります。
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ファミコン互換機の製造数は?「NTDEC」編【第3回】
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