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ファミコン互換機の製造数は?「DAR YAR」編【第2回】 0 テクノロジー

ファミコン互換機を巡る大いなる謎、「互換機はどれくらいの数が作られたのか?」に迫る。連載第2回は台湾互換機界の語られざる巨星「DAR YAR」に焦点を当てます。

TXC以外の大手互換機メーカー

台湾におけるファミコン互換機の全盛期は1987年〜1993年頃で、この当時は非常に多くのメーカー/サプライヤーがしのぎを削っていました。その数は確認できるだけで50社を超えます。前回紹介した「小天才」の台灣晶技(TXC)はその中でも最大手といえますが、「大手」と呼べる企業はそれ以外にもいくつかありました。ここでは、以下の条件を満たす企業を「大手」とします。
・製品ラインナップが5機種以上ある(マイナーチェンジを除く)。
・製品が5つ以上の国や地域で販売されている。
・製品は現在でも中古市場で用意に入手できる。
上記の条件を満たす企業は以下の7社となります(数字は設立年)。
  • 普澤股份有限公司 (Bit Corporation), 1980
  • 大雅電子股份有限公司 (Dar Yar Electronics), 1980
  • 駱瑪有限公司 (RAMAR INTERNATIONAL, 通称RINCO), 1980
  • 任天堂電子 (Nintendo Electronics, 通称NTDEC), 1986
  • 松玲企業有限公司 (通称Songtly), 1986
  • 勝天電子有限公司 (Zonic Electronic, 通称Aaronix), 1987
  • 菱立有限公司 (通称NASA), 1989
ひとことに大手と言っても、各社の生産規模はもちろん同等ではなく、それなりの格差があったと考えられます。普及率や供給網の観点からいって、TXCと同規模であり得たのはおそらく数社だけでしょう。現時点では、確実にその範囲にあると言い切れる資料があるのは大雅電子だけです。

大雅電子という会社

大雅電子は「DAR YAR」「SUPER VISION」「CREATION」といったブランドで知られる著名なファミコン互換機メーカーです。これらのブランド名を冠した製品は中東、東南アジア、南アメリカの一部地域においてかなり普及しました。もっとも大雅電子の互換機は、必ずしも同社ブランドで売られていたとは限りません。彼らはOEM生産にも力を入れていたからです。大雅電子製の(あるいは同社からライセンスを得て製造された)機種は多くの場合DY-616, 636, 656といった「DY」で始まる型番を有していますが、これらはさまざまなブランドを通して世界中に広まりました。
それだけの存在感を見せながら、大雅電子がどのような会社であり、その起源がどのようなものだったかについては、ほとんど語られたことがありません。改めて調べてみると、同社のルーツは長い歴史を持つ塗料メーカー、台灣永固造漆股份有限公司だったことが分かりました。同社は1980年代初頭に、何らかの理由でハイテク関連事業への投資を決定し、そのための子会社として大雅電子を設立しました。当初の主な製品は電話や通信機器でしたが、ビデオゲーム機のジョイスティックも製造していました。ビデオゲーム機本体の製造は1987年からで、その頃までに大雅電子はすでに中東と東南アジアの市場を開拓済みでした。これらの地域で大雅電子の製品がよく普及していた理由の一端であるといえるでしょう。

同社初のビデオゲーム機がどれなのかを特定するのは難しいが、現時点で確認できる最古のものは、このインドネシアで発見されたSuper VisionブランドのAtari 2600クローンとなる。シリアルナンバーから1987年に製造されたものと推察される。
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ファミコン互換機の製造数は?「DAR YAR」編【第2回】
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