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ファミコン互換機の製造数は?「小天才」編【第1回】 0 テクノロジー

ファミコン互換機を巡る大いなる謎、「互換機はどれくらいの数が作られたのか?」に迫る。連載第1回は台湾のもっとも著名な互換機「小天才」に焦点を当てます。

ファミコン互換機はどれくらいの数が作られたのでしょうか? これについては資料をみつけるのが難しく、長年にわたる大いなる謎のひとつとなっていました。しかし幸いにして筆者は近年、少なくとも部分的には数値を導き出せるだけの資料を確保することに成功しました。そこで今回からこの謎に少しずつ迫っていきたいと思います。まず最初は、台湾のもっとも著名な互換機「小天才」に焦点を当てましょう。
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台湾「小天才」のケース

ご存知の通り、台湾は非公認ファミコン互換機発祥の地です。台湾全体での網羅的な生産統計は筆者の知る限り存在しませんが、たとえば台湾最大手の台灣晶技股份有限公司(TXC)に関しては、当時の雑誌や新聞の記事などに、いくつか参考になる数値を見つけることができます。
まず注目したいのは「港台游戏机厂家概况」という記事(『电子天府』1994 Vol.1 [2月号])。1992年時点の台湾・香港におけるゲーム互換機メーカーおよび周辺機器メーカーの計10社の年商や製造台数を調査している極めて珍しい記事なのですが、これによればTXCは同年時点で月産10万台という状況にあったということです。つまり年間120万台。ファミコン最盛期の国内出荷台数にも匹敵する数字です。

「小天才」シリーズで最も普及した機種であるIQ-501。オーストラリア/シンガポール/インドネシアではSpica、旧ソ連諸国ではDendy、ブラジルではPhantom System、コロンビアではNichi-Man、ペルーではMaxplay、タイではMaricoなど、さまざまなローカルブランドが展開され、世界各国でかなりの人気を博した。人気のあまり「小天才」自体の海賊版も多数製造され皮肉にもTXCはその対策に追われる。
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TXCが「小天才」を製造していた期間は1989年後半~1994年の約5年間ですが、この期間中、販売台数は右肩上がりで推移していました*。したがって製造期間中、ずっと変わらず月産10万台だったということはないでしょう。
『台灣蛟龍: 中小企業升級轉型的成功實例』(1996)という書籍には、同社が平均して年に15%成長しているとの記載があります。これを元に、1989年~1994年の製造台数を試算してみましょう。

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ファミコン互換機の製造数は?「小天才」編【第1回】
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