
ファミコン互換機の製造数は? 「Kingway」編【第12回】
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ファミコン互換機を巡る大いなる謎、「互換機はどれくらいの数が作られたのか?」に迫る。今回からはさらにマニアックに。これまでは大手~中堅のファミコン互換機メーカーに焦点を当ててきましたが、今回からは「知名度はないが歴史的重要性の高い小規模メーカー」に視点を移していきます。最初にご紹介するのは「Kingway」こと慶威電子。メガドライブ互換機の方面で有名なメーカーですが、ファミコン互換機時代もなかなかにユニークでした。

ファミコン互換機研究においては、マイナー機もまた無視すべからざる存在。なぜなら当時台湾では数十に及ぶ小規模メーカーが跋扈しており、それらの製造台数を総計すると、大手数社分に匹敵すると考えられるからです。
小規模ゆえに、ほとんど何も情報が残っていないような素性の知れないメーカーも少なくありません。ですのでマイナー機のすべてを調査することは当然ながら不可能ですが、それでも筆者は7~8割がたの製品については出所を突き止めることに成功しており、一部のメーカーについては当時の雑誌記事から月産の製造台数を掴んでさえいます。筆者が製造台数を確認したのは、以下の5社です。
- Mirage International Company Ltd.(M.I.C.):2万~3万台(4万台まで製造可)*
- 久隆電子股份有限公司(Casel Electronics):2万台 ***
- 欣登電子股份有限公司(Asia Master Production): 1.5万台 **
- 慶威電子股份有限公司(Kingway Electronics):1.5万台 ***
- 豪康電子工業有限公司(HKC Electron):任天堂電子の60%(92年時点。筆者推計0.8~1万台)***
- 偉信電子股份有限公司(VISION Electronics):0.6万台(稼働率20%)***
調査が行われた1992~1993年時点ではMirage Internationalが5機種、欣登が4機種、慶威が3機種、豪康が2機種、偉信と久隆が各1機種のファミコン互換機を展開していました。ファミコン互換機マニアであっても知らないような超マイナーなものばかりですが、逆に言えばこの時代にはそれくらいマイナーな機種であっても、月産5000~30000台ペースで出荷されていたということが、上記5社の状況から見えてきます。
上記5社のうち、慶威電子については比較的豊富にシリアルナンバーを収集することができました。そこで今回はこの会社の軌跡を追いかけてみましょう。
*『Asian Sources Gifts & Home Products』 (第11巻第12号 [1993年3月号], p.287~288)
** 前掲書 p.294
***「港台游戏机厂家概况」『电子天府』1994 Vol.1 [2月号] pp.118~119
** 前掲書 p.294
***「港台游戏机厂家概况」『电子天府』1994 Vol.1 [2月号] pp.118~119
慶威電子は社員数は30名、うち開発担当者が5名(1993年3月現在)。小規模メーカーとしては平均的な規模でした。ちなみに社員数は同時期の任天堂電子(NTDEC)と同数です。任天堂電子はすでに本連載で取り上げた通り、出荷台数でいえば大手なのですが、人員数でいえば中小規模だったのです。
慶威電子は1988年に邱成正なる人物が設立しました。ファミコン互換機の開発に乗り出したのは1990年頃からと見られますが、本格的な自社製造の痕跡が見られるようになるのはさらに遅く、1992年頃からとなります。
1992年といえば台湾ファミコン互換機産業の安定成長期が終わりを迎えつつあった頃です。市場の注目がメガドライブやスーパーファミコンといった16ビット機に移っていたことに加え、ファミコン互換機市場においても競争が激化。中国本土製の安価なファミコン互換機も台頭しつつあり、イノベーションや新規市場の開拓なくしては生き抜けない状況が生まれつつありました。
1992年といえば台湾ファミコン互換機産業の安定成長期が終わりを迎えつつあった頃です。市場の注目がメガドライブやスーパーファミコンといった16ビット機に移っていたことに加え、ファミコン互換機市場においても競争が激化。中国本土製の安価なファミコン互換機も台頭しつつあり、イノベーションや新規市場の開拓なくしては生き抜けない状況が生まれつつありました。
慶威電子はこの時代をイノベーションで生き抜いた後発メーカーのひとつでした。しかし最初の数年間はまだありきたりなファミコン互換機をの主力製品としており、「どこにでもある中小メーカー」の域を出ませんでした。この頃同社がどんな機種を販売していたのかを、次に見てみましょう。
「港台游戏机厂家概况」によれば同社のゲーム機は100%輸出向けの商品として製造されていたということです。この頃には以下の3機種が主要なラインナップとなっていました。

ファミコン模倣型(KW-200)
「Froggy」「Panavox」「Sonson」といったアルゼンチンの中堅ブランドに採用されたため、同国では比較的多数見つかります。また自社展開していたと思しき製品もあり、上記写真の「FAMILY COMPUTER II」や「NAZA」ブランドの製品、またSY-700模倣型などがそうであると考えられます。ちなみに「NAZA」はこの欧州を席巻していた「NASA」のファミコン互換機にあやかった名称でしょう。

レーシングカー型(KING-300)
ファミコン互換機界隈では、どういうわけかレーシングカーの形をしたファミコン互換機が一部で持て囃されていましたが、その先駆となったのが本機です。1990年7月20日に意匠登録申請されているので、この頃に発売されたと見られます。中国やアルゼンチンで発見例が散見されますが、現存品は少ないので、それほど多くは出回らなかったのでしょう。1992年2月には中国本土において「Dr.Super?」こと深圳吉昌电子有限公司(松玲企業有限公司(Songtly)傘下)によるライセンス製造・販売も行われています。

NES型(KW-400)
NESの外見をほぼそのまま模倣。背面にイジェクトボタンがあることや、底面のデザインなどが主な相違点となっています。出回りはかなり少なかったと見られ、筆者はこれまでに3台しか確認できていません。
この時点での慶威電子は決して目立った存在ではありませんでしたが、その裏で次の時代を見据えたふたつの新製品を準備していました。
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