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ファミコン互換機を巡る大いなる謎、「互換機はどれくらいの数が作られたのか?」に迫る。連載第6回は世界で初めてOEM方式を主軸にした、隠れた重要ファミコン互換機メーカー「Songtly」こと松玲企業有限公司について見ていきます。
これまで取り上げてきた台湾晶技、大雅電子、任天堂電子、勝天電子、普澤といったメーカーの名前は、ファミコン互換機についてある程度知識をお持ちの方であれば一度くらいは聞いたこともあろうかと思います。しかし今回取り上げる松玲企業有限公司は、おそらくほとんどの方がご存知ないでしょう。
大手の一角といえる存在でありながら、企業としての足跡をほとんど残していない謎多きメーカー。その製品や実績も近年までほとんど知られていませんでした。互換機史における彼らの重要性を指摘したのは、恐らく筆者が初めてだと思います。
松玲企業は1986年の設立であるということ以外、詳細は何も分かっていません。確かにいえることは、ふたつだけ。1987年の時点でアタリVCS/2600互換機とファミコン互換機を販売していた……つまり最初期から活躍する互換機メーカーのひとつだったということ。そして范房城なる人物が製品開発の責任者だったということです。
范氏は現在でも足取りを追うことのできる数少ない互換機パイオニアの一人ですが、ビデオゲームを手掛ける以前には音響機器の設計をしていたといいます。その後宋なる同級生の誘いで松玲企業のファミコン互換機設計・開発の責任者となりました。しばらく同社に籍を置いていた可能性もありますが、松玲企業のファミコン互換機関連特許はすべて范氏が個人として取得していました。これらの権利はのち松玲企業に移動しています。

范房城氏。後年には南アフリカにファミコン互換機工場を設立したりもしている。 [画像出典: 客委會委託左右設計出版《遠颺築夢》歐非洲海外客家人物故事-專訪南非范房城]
最初期の松玲企業が主要製品としたのは、アタリVCS互換機SY-600と、ファミコン互換機SY-700でした。松玲企業はこの頃「Songtly」または「Funfair」のブランドを主に用いており、SY-600のほうはこれらのブランド名を冠して発売されたものが大半でしたが、SY-700のほうは多彩なブランドから登場しており、自社ブランドの使用は稀。ノーブランドでリリースされたものも数多くあります。

Funfair Home Computer Game。もっともよく見られるSY-600のパッケージ。
この差が何に起因するのかははっきりしませんが、出回った数量はSY-700のほうが圧倒的に多かったので、クライアントに合わせてブランドを変える必要も多かったのでしょう。「クライアント」と書きましたが、実は松玲企業は自社製品をOEM展開していくという手法をとった最初の互換機メーカーでもありました。たとえば最初期のSY-700は、台湾テレビ局・華視(CTS)から数量限定で発売されたものです。

CTS版SY-700の広告 (出典:華視綜合週刊第823期, 1987年)。本家ファミコンとほぼ同じ形状だが、イジェクトレバーがない(その位置にはステッカーを貼り付け)。これはSY-700の典型的な特色のひとつである。
非常に珍しいSongtlyの雑誌広告 ("Asian Sources Electronics" Dec.1987)。写真のSY-700には本家ファミコンにないもうひとつの特色、すなわち着脱式コントローラを見ることができる。後年ファミコン互換機ではDsub9ピン使用の着脱式コントローラがデファクトスタンダードとなるが、その起源がここにある。
SY-700は初期のファミコン模倣型互換機のなかでも、大雅電子製(DYシリーズ)や任天堂電子製と並んで特に多く出回った機種のひとつで、世界各地──とりわけ中南米でよく流通しました。しかし製造者を示す情報がパッケージ上にほとんど見当たらないため、長年にわたり製造元は不明とされていました。松玲企業というメーカーの存在が知られるようになったのはごく最近の話です。
SY-700には他社製も含めてさまざまなバリエーションが存在しています。なかでも大雅電子製と曉奇投資有限公司製のものは下手をすると本家SY-700以上に目立っているほどですが、許諾を受けて製造したものかどうかは定かではありません(曉奇に関してはその可能性が濃厚です。詳細は後述)。本家SY-700を示唆する特色として、ケース裏に貼られた「HVC-003 ©VIDEO GAME」というステッカーがあります*。下記写真のようにメタリックなステッカーであれば、松玲企業自ら製造した比較的初期のHVC-003である可能性が高いといえます。
* この件を指摘してくれた@AlfaroOruetaに感謝。
松玲企業が自らリリースした珍しいSY-700。このようにより本家ファミコンにより近い形状をしているものもある。コントローラに見られる "AUTO/NOR" 表記の連射スイッチは、松玲企業のファミコン模倣型に特有のもの。
范氏は当時一流大学出身の学者やエンジニアと交流を持ち、多くの知識を吸収していたといいます。おそらくそれゆえなのでしょうが、松玲企業は技術的なこだわりが強く、同業他社によく見られる「外装を変えただけの新型機」を基本的に出さない会社でした。
また同社はファミコン互換機用CPU/PPUの生みの親である太欣半導体とも縁が深かったとみえます**。太欣半導体の独自技術を、松玲企業が独占的に製品化していた事例が実際にあるのです。1988年、太欣半導体はファミコン互換機にクロックジェネレータを増設し、NTSC用のCPU/PPUを強制的にPAL対応させる技術の特許を出願しました(台湾專利番号108119「任天堂相容電視遊樂器主機改良裝置」)。これをそのままの形で用いているのは、松玲企業の一部互換機のみなのです。
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ファミコン互換機の製造数は?「SONGTLY」編【第6回】
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