
第41回 中山牝馬ステークス(GII)の結論!
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中山牝馬ステークス(GII)の結論!
ステイゴールド系か、ハーツクライ系か。
「中山の芝」では、このような論点で攻略する人も増えているようだ。
中山牝馬ステークスの結論の前に、触れておきたいことがある。
2023年3月9日。
ハーツクライが、この世を去った。
ハーツクライが、この世を去った。
2003年日本ダービー
1着ネオユニヴァース(社台レースホース)
1着ネオユニヴァース(社台レースホース)
2004年日本ダービー
1着キングカメハメハ(金子真人ホールディングス)
2着ハーツクライ(社台レースホース)
1着キングカメハメハ(金子真人ホールディングス)
2着ハーツクライ(社台レースホース)
2005年日本ダービー
1着ディープインパクト(金子真人ホールディングス)
1着ディープインパクト(金子真人ホールディングス)
この3年間のダービーは金子真人氏と社台レースホースの所有馬が活躍した。
ネオユニヴァースは、当時短期免許で来日していたイタリアの若武者“M.デムーロ騎手”の手綱で二冠。
翌年は、NHKマイルカップから参戦したキングカメハメハが“笠松競馬から移籍の安藤勝己騎手”の手綱で異例のローテーションからのダービー制覇。
そのキングカメハメハに迫ったのが、京都新聞杯1着からダービーに臨んだハーツクライであった。
そのキングカメハメハに迫ったのが、京都新聞杯1着からダービーに臨んだハーツクライであった。
ハーツクライは、安藤勝己騎手の手綱で若葉ステークスを勝って皐月賞の権利を獲得。
皐月賞では、その安藤勝己騎手の手綱のまま臨んで14着に敗戦。リベンジを期して京都新聞杯を勝って日本ダービーへ。
皐月賞では、その安藤勝己騎手の手綱のまま臨んで14着に敗戦。リベンジを期して京都新聞杯を勝って日本ダービーへ。
ダービーでは、安藤勝己騎手はキングカメハメハに騎乗し、ハーツクライには横山典弘騎手が跨った。
若葉ステークス⇒皐月賞⇒京都新聞杯⇒日本ダービー
3月からダービーまで、トライアルとGIを2戦で合計4レース。
この詰まったローテーションを経てのダービー2着という好走までに、ハーツクライの「成長」が詰まっていたが、それだけでなく、いま思い出しても驚くのは、ハーツクライがデビューしたのは、1月であったということ。
この詰まったローテーションを経てのダービー2着という好走までに、ハーツクライの「成長」が詰まっていたが、それだけでなく、いま思い出しても驚くのは、ハーツクライがデビューしたのは、1月であったということ。
2004年
1月5日3歳新馬 1着(武豊騎手)
2月15日きさらぎ賞 3着(幸英明騎手)
3月20日若葉S 1着(安藤勝己騎手)
4月18日皐月賞 14着(安藤勝己騎手)
5月8日京都新聞杯 1着(安藤勝己騎手)
5月30日日本ダービー 2着(横山典弘騎手)
1月5日3歳新馬 1着(武豊騎手)
2月15日きさらぎ賞 3着(幸英明騎手)
3月20日若葉S 1着(安藤勝己騎手)
4月18日皐月賞 14着(安藤勝己騎手)
5月8日京都新聞杯 1着(安藤勝己騎手)
5月30日日本ダービー 2着(横山典弘騎手)
デビューから半年以内に6戦。
なんて【タフな馬なんだ!!】
キングカメハメハ、ディープインパクトが急逝した2019年夏。
その後も、種牡馬として活躍したハーツクライ。
高齢になった時も、種牡馬として“タフな活躍”をしてくれた。
高齢になった時も、種牡馬として“タフな活躍”をしてくれた。
2005年の有馬記念。
世間全体で、「ディープインパクトは絶対に負けない」という雰囲気の中、「競馬に絶対はない」という冷静さを取り戻させてくれたのは、C.ルメール騎手が手綱を握ったハーツクライであった。
世間全体で、「ディープインパクトは絶対に負けない」という雰囲気の中、「競馬に絶対はない」という冷静さを取り戻させてくれたのは、C.ルメール騎手が手綱を握ったハーツクライであった。
当時の雰囲気。
騎手は勝負師とはいえ、ディープインパクトを負かそうとできる日本人騎手はいなかったはずだ。
騎手は勝負師とはいえ、ディープインパクトを負かそうとできる日本人騎手はいなかったはずだ。
“ディープインパクトを負かすならば、外国人騎手が跨る馬!”
ということで、
・C.ルメール騎手が騎乗
・前走ジャパンカップで2着
・前走ジャパンカップで2着
このあたりも考察し、1着ハーツクライ→2着ディープインパクトの馬単的中馬券を掴みながらも、ディープインパクト敗戦のショックで静まり返っていた空気の中、喜ぶことができなかったことを思い出す。
ドバイシーマクラシックを制覇。
あれだけタフな馬だっただけに、“喉なり”がなければ、欧州の馬場でどれだけやれたのだろうか。
当時の無念さを思い出す。
2006年の天皇賞・春。
ディープインパクトが勝った時の実況の言葉。
ディープインパクトが勝った時の実況の言葉。
『ハーツクライよ、ハリケーンラーンよ、待っていろ!』
『ディープインパクトです! これで文句なく世界の桧舞台へ、ディープインパクト!』
『ディープインパクトです! これで文句なく世界の桧舞台へ、ディープインパクト!』
馬場鉄志氏が発した言葉が、いまだに記憶に残っている。
ディープインパクトとハーツクライの再戦を凱旋門賞の舞台でみたい。
2004年菊花賞7着ハーツクライ(鞍上武豊)
2005年菊花賞1着ディープインパクト(鞍上武豊)
2005年菊花賞1着ディープインパクト(鞍上武豊)
この2年の菊花賞で武豊騎手はハーツクライにもディープインパクトにも跨っていた。
ハーツクライの特徴を知っている武豊騎手が、ディープインパクトでどうやってハーツクライを負かすのか。リベンジを果たすのか。
ハーツクライの特徴を知っている武豊騎手が、ディープインパクトでどうやってハーツクライを負かすのか。リベンジを果たすのか。
それを楽しみにしていたが、2006年の有馬記念・・・
ラストランで沸いたディープインパクトの勝利。
その裏で喉なりで調子を崩していたハーツクライは10着。
その裏で喉なりで調子を崩していたハーツクライは10着。
ディープインパクトのラストランの影で、ハーツクライもラストランを終えた。
自分の競馬人生において、
2003年から2006年の4年間は、間違いなく【特別な4年間】であった。
2003年から2006年の4年間は、間違いなく【特別な4年間】であった。
その時代を盛り上げてくれたハーツクライには感謝しかない。
本当にありがとう。
本当にありがとう。
ご冥福をお祈りいたします。
ハーツクライよ、やすらかに。
ハーツクライよ、やすらかに。
それでは、中山牝馬ステークスの結論へ。
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