滋賀県・栗東トレーニングセンターの朝靄に、ひとりの調教師が佇んでいた。関西屈指の名門、池江泰郎調教師だ。その手元の入厩予定馬リストには、一頭の幼いサラブレッドの名が記されていた。池江は静かに確信するように呟く。「この馬が、将来はうちの厩舎の看板馬になる」――メジロマックイーン、ステイゴールドと数々の名馬を育ててきた名伯楽の口から出た予言に、周囲は息を呑んだ。慎重で知られる男がデビューの八ヶ月も前から素質を見抜いたその馬こそ、のちに“英雄”と謳われるディープインパクトである。
ディープインパクトは2002年3月25日、北海道早来町のノーザンファームで生まれた。生まれた直後の仔馬を見た牧場長・秋田博章は「体のバランスは良いが、小柄で目立った点は感じなかった」と振り返る。しかし運命は静かに動き出していた。0歳の夏、ノーザンホースパークで行われたセレクトセールでこの鹿毛の仔は金子真人オーナーの目に留まる。馬主はその大きく澄んだ瞳に射すくめられ、「瞳に吸い寄せられた深い衝撃が忘れられなかった」と語った。世界に衝撃を与える馬になってほしい――そんな願いを込め、馬名は**「ディープインパクト」**と名付けられた。それは世紀の一目惚れから始まった物語の序章であった。
幼駒の頃、ディープインパクトは体が大きくならず成長がゆっくりだった。それでも走ることが何より好きな馬で、放牧地では蹄が血まみれになるほど夢中で駆け回ったという。やがて育成が進むにつれ、その非凡な才能が顔を覗かせ始める。女性スタッフが担当するほど繊細で小柄な馬体ながら、乗り味は抜群だった。担当者は「やわらかくて、ゴム鞠のように弾むようなバネがあった」と証言している。その柔軟性は群を抜き、走る姿を見た牧場長は「まるでネコ科の動物が走っているよう」だと驚嘆したほどだ。実際、装蹄師によればディープインパクトは犬や猫のように後ろ脚で自分の耳を掻けるほど体が柔らかかったという。関節が軟らかく、まっすぐだけでなく横にも自在に動ける――常識を超えた身体能力に、牧場関係者は戦慄すら覚えた。
栗東の池江厩舎に入厩したのは2004年9月8日のことだった。まだ小柄で華奢な馬体、薄い皮膚に浮かぶ血管、澄んだ瞳が印象的だったという。担当厩務員の市川明彦は、初めて繋養馬房で対面した瞬間を忘れられない。「かわいいし、性格もおとなしい。女の子じゃないかと思って、思わず確認した」と、市川はその場で股の間を覗き込み、本当に牡馬か確かめてしまったというのだ。闘争心に燃える怪物どころか、まるで箱入り娘のような素直さと愛らしさ――それが若き日のディープインパクトだった。厩舎スタッフからはいつしか「お坊ちゃまくん」という愛称まで贈られていた。競馬場で見せる圧倒的な闘志とは裏腹に、普段は人懐こく穏やかな優等生。そのギャップこそが彼の強さの秘密であり、人々を惹きつけてやまない魅力だった。
そして迎えたデビュー直前の調教。2004年12月、生涯初レースの4日前に、主戦騎手に決まった武豊が初めてまたがった。併走調教で並走馬を軽々と引き離すディープインパクト。その瞬間、数々の名馬を知る天才ジョッキーの直感が大きく振れた。「――来年はとんでもないことになるぞ」。湧き上がる手応えに、武は高揚を抑えきれなかったという。一方でスピードがありすぎることに不安も覚えた。下手をすれば我慢できない逃げ馬になり、クラシックでは勝てないかもしれない…。武は考え抜いた末、新馬戦ではポジションにこだわらず、とにかくディープ自身のリズムを尊重する騎乗を選ぶ。デビュー戦当日、彼は密かに闘志を燃やしながらも鞍上で静かに息を整えた。その耳には、担当調教助手・池江敏行へ興奮気味に漏らした言葉が響いていた。「この馬、ちょっとヤバいかも」。稀代の才能が目覚める瞬間が、すぐそこまで来ていた。